関東羽茂会だより’01
 2001(平成13)年
 12月号 No298
    「佐渡国鬼太鼓in原宿」にて      関東羽茂会 広報委員 蛇ノ目 俊行
 秋も深まった11月17・18日、東京代々木公園で「佐渡国鬼太鼓in原宿2001」が開催されました。天候にも恵まれ大勢のお客様が集まっていました。
酒を飲みながら「しめじご飯・沖汁・カキ焼き等」を食べ「おけさ・鬼太鼓」を見学する。また、イベントに参加して景品を獲得する人。お土産をいっぱい買っている人と、皆さんそれぞれ満喫して帰宅した事と思います。
 羽茂町のコーナーでは柿も好調に売れ、青年団のつきたて餅販売には長蛇の列が並んでいました。
 関東羽茂会でも羽茂町のテント裏に会員の方やそのお仲間方との交流の場として、また休憩所としてのスペースを設けました。
田舎の話や、近況報告、お友達(羽茂出身者)の情報、関東のお仲間には佐渡の宣伝と、話は大変盛り上がりました。2日間で自然学園の若者も集まって、沢山の方々にお立ち寄り頂きました。有り難うございました。関東羽茂会として、まずまずの成果だったと思います。
「佐渡国鬼太鼓in原宿」は来年も開催されると思います。皆さん、是非お会いしましょう。
 なお、会場の様子は こちら に載せてあります。是非ご覧ください。
 11月号 No297
                       埼玉県戸田市在住    寺田・清水出身
                              若林 祐樹さん(25歳)
 皆様、初めまして。若林祐樹と申します。原稿依頼のメールをいただきまして書かせていただきました。実はこの原稿はちょうど夏休みで帰省したときに書いています。
まずは自己紹介から。昭和五一年生まれ。平成七年まで小学校、中学校、高等学校と羽茂で過ごし東京へ。現在は新宿郵便局の中にある新宿郵便貯金サービスセンターという部署で仕事をしています。
私達東京の郵便局で働く職員の中にも新潟出身、佐渡出身、羽茂出身という人は多く、つい先日も郵便局の会議の席で偶然高校の後輩とバッタリというような出来事もありました。
それから、毎月送っていただいている「広報はもち」で羽茂の情報は得られるのですが、帰省するたびに新しい発見がいっぱいです。少しずつ変化していくことは、良いことでもあり、悪いことでもあるのかもしれませんが。今度は職場の仲間たちと遊びに来ますので、皆様よろしくお願いします。
 10月号 No296
    「振り返れば羽茂町」       埼玉県川口市在住  上大谷・彦十郎出身
                               中川 康さん(42歳)
 故郷羽茂のことを書いてくれと頼まれ断りきれず日頃使わないワープロを開いています。
 羽茂高校卒業後東京足立区の会社へ就職し二十五年になりますが、ほとんど毎年夏にはお盆休みを利用し羽茂町大谷へ里帰りしています、帰るたび「あそこに何々が建った」とか「あそこの道は舗装になった」とか羽茂町の発展にはびっくりするしだいです。
住み良い町に変わって行くのは大変良い事だと思いますが、ただ私個人的には住んでいた頃の羽茂が徐々に無くなってしまう気がして寂しくなるのはなぜでしょうか。住んでいる人達のことも考えず勝手なことを言ってしまいました。
 春には山に行き山菜取り、田植え、新緑の初夏、秋にはアブラメ釣り、稲刈り、柿もぎ。夏にしか帰らないものですから懐かしく思います。羽茂での生活は十八年、東京の生活二十五年こちらの生活のほうがずいぶん長くなってしまいました、しかしいまだに心は羽茂へ置いてきたままです。
両親は健在で少ない田畑を耕し年金生活をして長男親子と暮らしています。
年に一度帰ると「ようきたなあ」とで迎えてくれ、母親の作ってくれる、にしめ、おくわ、茄子とピーマンの油じゃーを食べるのがいつも楽しみに帰郷しています。
 老後は妻を説得して(東京育ち)羽茂のどこかで釣りでもしながらのんびり暮らせたらいいなあと夢を見ている今日この頃です。
素晴らしい自然と生活環境を調和させた羽茂町を大事にしたい、していただきたいと願っています。
 8月号  No294
    「新会則と組織体制について」         関東羽茂会事務局  長尾 俊春
 会員各位、並びに羽茂町民の皆様には益々ご清祥の趣、慶賀奉ります。
平素は格別のご支援、ご協力を賜り、心から厚く御礼申し上げます。
 去る七月一日の第十四回総会、懇親会もお蔭様をもちまして滞りなく、盛会裡に終えることができました。現在、役員執行部は第十五回の成功に向けて動きだしております。第十五回の節目の年に相応しい企画を念頭に検討しています。
 さて、主題の件ですが去る第十四回の総会で従来の『会則』を見直しました。その上で『新会則』を満場一致で採択、可決いたしました。新会則は従来のものと比較しますと、本筋は基本的には変わっておりません。強いて変わった点を申し上げますと、条文を増やして一段とわかり易くしたところです。特に力点をおいたところは、役員執行部の役割分担を明確化したところです。一種の構造改革ですが、そうすることにより今後役員各位のニーズに対応することはもとより、当会の発展にも寄与するものと確信しております。
 なお、本条文の中核を成しております三本柱の要旨について触れて擱筆したいと思います。
○会員相互の親睦を図る。
○羽茂町との一層の交流を図り、連絡を密にし、ふるさとの発展に寄与する。
○首都圏佐渡諸団体を通して、佐渡全体の活性化に寄与する。(従来にはなかった新しく盛り込んだところです。)
以上の三つをうたっております。
 最後になりますが、事務局は常に皆様の窓口として今後とも微力ではありますが努力したいと思っておりますので、御指導ご鞭撻のほど、伏してお願い申し上げます。
 7月号  No293
    「葛西名誉会長のご逝去を悼む」       関東羽茂会会長  本間 慎
 関東羽茂会葛西嘉資名誉会長におかれては、本年四月二十九日ご逝去されました(享年九十五歳)。本会を代表して心から哀悼の辞をささげます。
 葛西名誉会長は羽茂町の名誉町民であり、行政マンとして最高位の厚生事務次官までのぼりつめた羽茂町として誇りうる方であります。行政マンを志して東京大学法学部へご入学されたと聞いています。厚生事務次官をお辞めになってから、日本福祉事業大学理事長として大学の管理運営に携わり、その後、日本赤十字社副社長、社会福祉事業振興会会長、日本身体障害者スポーツ協会会長、日本児童福祉給食会理事長、国民休暇村協会会長、医薬品副作用被害救済基金理事長などを歴任され、日本の厚生分野に大きな足跡を残されました。
 関東羽茂会の創立に賛同され、第一回関東羽茂会の総会に出席され、名誉会長をお引き受けいただきました。総会時に役員が着ている「つぶろさし」のハッピを寄贈していただきました。
 お偉い方でありながら、大変気さくな方で、総会に出席されたときに「君の家の屋号は?」と質問し、「そうか、そうか」と頷かれ、「君のおじいちゃんを知っているよ」と多くの人々と楽しく会話されている姿が昨日のようによみがえってきます。
 どうぞ安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りします。
 6月号  No292
    「サウジアラビア王国 ジェッダより」             下町・マルタ出身
                               田村 トシ子さん(旧姓 若林)
 熱砂の国サウジアラビアは、私にとっては三ヶ国目の駐在地です。夫の仕事の都合で、三〇代の頃はロサンゼルス、四〇代後半はジャカルタに赴任になりました。そこから引き続いて、現在のジェッタに移っています。イスラム教の大本山であるメッカの近くです。
 私たちの日常生活は、外国人居住区とでも言うような塀で囲まれたコンパウンドの中に住んでいます。街の大きなスーパーに行く時は、女性は黒いマントのようなもの(アバヤ)で全身を隠し、場所によっては髪の毛も黒い布でカバーします。サウジ人の男性は白いトーブという洋服を着て、頭は布でカバーしていますから、街の様子は白と黒色が目立ちます。
 アルコール類や豚肉、映画、集会などは禁止されています。したがって楽しむことは自分たちで考えて行動することになります。日本の生活と比較すると、あまりの違いに驚くばかりです。気候、風土、宗教、民族の違いで生活習慣が作られてゆくのでしょう。住んでみて、いろんな道理がわかってくるものです。
 多くの不自由さを感じながらも、日本人会の行事は協力し合い楽しんでおります。観光ビザは発行されていませんが、研修旅行という名目で入国できます。とてもきれいな商業都市です。紅海に沈んでゆく夕日は、自然の雄大さを充分に感じさせてくれます。
 5月号  No291
                        東京都世田谷区在住  小泊・島田出身
                               井野口寿美恵さん(旧姓 島田)
 桜の季節が巡ってきますと思い出すのは、入学のため上京の私に、今は八十五歳になる伯父の言葉です。「山の手線は自動ドアである、又混んで時間内にホームに降りられなかったら無理せず、四十分~五十分すれば一周し又元の所に着くから」との助言を耳に、新宿駅のホームに立ってから早いもので五十年。私自身、今更ながらびっくり致しております。その頃の東京での同級生は一~二人、度々のホームシックもひとしおでした。大好きな洋裁を学び、学校に五年勤め、結婚。子供達が独立した今も、四十年近く自宅で洋裁教室を続けております。そんな私も、時折の帰省が何より楽しく、車中から船と佐渡や羽茂に近づくにつれ、懐かしい言葉や見慣れた風景が目に入り、胸の鼓動が一層高くなり、実家に着く頃は心も体も、すっかり羽茂にずっと暮らした感覚に浸ってしまいます。羽茂の広報も毎月頂き、生涯学習や公民館活動、また各種のイベント等、夕食の後の楽しい話題にさせていただいております。時代の流れとともに、佐渡羽茂もすっかり変わり、新しい道路や各種の施設、高層ビルもでき、目を見張るばかりです。ただひとつ、人口の減少が残念でなりません。故郷の発展があってこその私達ですのに・・・削りこまれた古里のある幸せを心の支えに、プラス思考の日々を過ごしていきたいと思っております。
 4月号  No290
    「娘からの贈り物」         東京都世田谷区在住  小泊出身
                               島田 實さん(60才)
 それは二月も中ごろのバレンタインデー前後のことでした。何年間か海外で生活して帰国し東京で働いている長女が、突然私を訪ねてきて義理チョコと一緒にアメリカでベストセラーだといって一冊の本を置いていきました。タイトルは「チーズはどこへ消えた?」という何の変哲もない童話調の薄っぺらな訳本で、その装丁としてベストセラー本などとは思えない質素なものでした。それ故、大した期待もせずに読み始めたのです。ところが、読み進むに従い、チーズを求めての二人の小人と二匹のネズミの心の葛藤を書いた童話風の筋書きの中に、過去の経験や考え方を捨て去ることの難しさ、急激な社会の変化に即応して自分自身が変わり、状況を見極めて出直すことへの抵抗感や不安感といったものが見事に描き出されているのです。まさにこれは、二十一世紀の国際化、高度情報化という厳しい変化立ち向かわなければならない私達人間どもへの示唆に富む警鐘だったのです。そしてこの本の中で、ネズミより秀れた頭脳を持つが故に、変化への判断をためらい、自分の進むべき方向も手段が見出せず、一人とり残され一生を終わろうとする小人の姿が、あたかもバブル崩壊、過去の柵を断ち切れず、変わりきれないでいる日本の政財界のお偉方の姿とダブって見えるのは、単なる皮肉なのでしょうか。二十一世紀を生き抜くためには世界が、日本が、そして東京も佐渡も、私たち一人ひとりが変わらなければならない時代を迎えているようです。
 3月号  No289
    「佐渡に想う」            東京都板橋区在住  地田・伝九郎出身
                               冠城富美子さん(旧姓・高野)
 毎年夏のお盆に佐渡に帰省するようになって、もう二十年以上になります。
その内のほとんどは東京の友人の家族と一緒です。私の出身地が佐渡と知ると、皆一様に「是非行きたい」と言います。来た方がまず第一に驚くのは島の大きさです。そして海が静かできれいなこと。「海は荒海向こうは佐渡ョ」の歌のイメージが強いせいでしょうか。
 夜は釣りに行き沢山「鯵」が釣れるのにまたまた驚いていました。友人は初めてなので、佐渡はこんなに美しい島なんだと楽しんでいるのですが、子供の頃の佐渡を知っている者にとって、毎年少しずつ確実に変化していく姿を見るのは淋しいものです。両津から佐和田に行く道路は両側にショッピングセンターの建物が並びミニ都会のようです。海岸は埋め立てられ、山には茶色に枯れた松の木が林立しているのを目にすると、友人のようには喜べないものがあります。佐渡の観光客数が減っていると聞きましたが、一度来た人が又来たいと思わせるにはどうしたら良いか一考する時期に来ているのではないでしょうか。いつまでも変わらず美しい島であってほしいと願ってやみません。
 2月号  No288
    「羽茂に生まれて  育てられ」  東京都小平市在住  下町・平城出身
                               海老名六郎さん(六十六歳)
 小学校入学直前、尋常から国民小学校に名称変更、六年生で敗戦玉音放送より当時八月十八日のアミオロシで、米兵に鮎を取られるのではないかと心配しました。新制中学校一期生、雨天運動場を板で仕切った教室、教科書は墨で塗ったり、新しい教科書は新聞紙を折りたたんだような紙、これをナイフで切り綴じたものでした。山に川に海と自然に囲まれ、お袋同様世界一の故郷と思っています。ある夏帰省し、海に行こうとしたらあちこちから海に子供を連れて行ってほしいと頼まれました。事故を恐れるあまり、過保護になっていないかと思いました。あふれんばかりの自然に接する機会を自ら閉じております。多少の危険は人間にはつきもの。子供のうちに体得させる事こそ教育と思いますが・・・。
 羽茂を離れたのは中学校修学旅行で善光寺参り、佐渡より広い処を実感しました。帯広畜大を卒業し農水省、種畜牧場でカウボーイ生活を実習、外国に出る機会をうかがっていたところ、戦争賠償でカンボジアの畜産センターに立候補?当選派遣されました。住んでいた所から二十キロメートルでベトナム激戦地、夕食後車を飛ばし、七曲がりのような地形の所で車を止め、ライトを消し香取線香をたいて目下のジャングルを見下ろします。上空には米軍ヘリが旋回、パラシュート付きの照明弾落下、ジャングルに吸い込まれる照明弾はきれいでした。時としてジャングルの下からベトコンの迫撃砲の発射がありました。数日後羽茂からの手紙で、米軍のジャンクソン作戦と知る始末。知らぬは仏とはこのことなりでした。カンボジアに飛び火直前に帰国しました。羽茂で一年上の弘仁寺の日下陽氏がフジTV記者としてベトナムから陸路カンボジア入り行方不明となりました。この侵入地点の近くにいたので、「平城の六さん」を訪ねるつもりではなかったのかと聞かされ責任を感じました。以降パラグアイ、ウルグアイと、気が付けば農水省の二分の一は海外出稼ぎ、今は南米日系人が日本に出稼ぎに来ています。昨年八月、十一月と二回JICAの仕事でネパールに行き寺を訪ねた所で、ネパール青年と友人になりました。姓はシャカ・ブッダはシャカ族の王子としてルンビニで生まれたネパール人。東西南北のうち西方浄土がシャカムニと沢山彼から教えてもらいました。二十種族が各々伝統文化を守っており、それは種族間の結婚をしないので純粋さが保たれているのだとわかりました。登山のシェルパ、射撃のゴルカ等々、ユニークな種族が生活しておりました。自分が生まれ育った土地と対比してみると興味はつきません。今夏は鮎と海を体験しに帰省してみようと思っています。
 1月号  No287
    「羽茂に若い女性の定着を」  東京都豊島区在住    上町・ますや出身
                               本間慎さん(69歳)
 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
 さて、関東羽茂会は昨年羽茂町で「ゆるんぶち会議」を開催し、高校生、主婦、青壮年の方々から貴重なご意見を拝聴した。その時、私の方から羽茂は小木や赤泊に比べて小学生の児童数が人口比に対して顕著に少ないことを報告した。羽茂の人口を100とすると、小木は86.6、赤泊は71.3であるのに、小学生の児童数比は小木102、赤泊83.4である。その原因を探るために、1965年度と1995年度の国勢調査による5歳階級年齢別、男女別の人口減少率の差を調べた。
すると、14歳以下の男女間の減少率の間には差が認められないのに、15歳以上54歳までの人口減少率の間には35歳から39歳を除き常に男性より女性の方が高く、とくに20歳から34歳までの、いわゆる出産可能年齢の女性が羽茂には少ないのである、羽茂の女性は都会を含め他町村へ進出しているのであろう。しかし、羽茂の街づくりを考えると、大勢の若い女性と子供たちの元気な声がこだまする羽茂にしたいものである。何かよい方法はないものであろうか。

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